ゴールデンウィークのある晴れた一日、所沢のまち歩きイベントに参加した。
所沢市中心市街地活性化の拠点になっている野老澤町造商店(ところさわまちづくりしょうてん:通称まちぞう)を起点に、旧市街地をずっと歩いてくるというイベントだ。明治15年開業の地元の老舗割烹「美好」で食べる昼ごはんをはさんで5時間くらいのツアーだった。
ちなみにその様子はコチラ(一緒に歩いた所沢市役所の肥沼さんのブログ)
http://blog.livedoor.jp/tokorosawamachi/archives/1457175.html
住宅街の中を歩きながら主宰者の三上さんが言う。
「ぼくが子どもの頃この辺はずーっと畑が広がっててね。ちょうどこの道はぼくが自転車の練習をした道なんだ」
彼は今年75歳だそうだから、それは戦争が終わる頃の話だろうか。
ぼくたちが歩いていたのはなんの変哲もない家並に囲まれたアスファルトの道だったが、そのときぼくには子どもの頃の彼が畑に囲まれた一本道を自転車に乗って走っていく姿が見えるような気がした。
ふと、昔読んだ井上靖の「あすなろ物語」や「しろばんば」をもう一度読みたくなった。
後日、「空から見た所沢」という写真展を見に、再びまちぞうを訪れた。
パネルに掛けられた沢山のセピア色の写真の中に、一枚ぼくの目を引く写真があった。それは大正時代の所沢駅周辺の写真だったが、駅から少し離れた場所に畑が広がり、一本道が伸びているところがあった。それがどうやらこの間三上さんと一緒に歩いた道のようだった。思わず三上さん(彼はここでボランティアをやっている)を呼んで
「ここですよね。この間三上さんが言ってた道。この辺はずっと畑だったんだって言ってたとこ」
三上さんは写真を覗き込むと
「そうそう、この道でぼくは自転車の練習をしたんですよ」
と懐かしそうに言った。
結婚してから所沢に引っ越してきた。
最初のうちは通勤がたいへんだなあと思っていた(それまで住んでいた中野は会社まで30分だったが、今は90分かかる)が、住むうちに緑が多く人々の距離感もちょうどよくて、住みやすい町だと思うようになっていた。それでもあいかわらずどこか仮住まいのような気がしていた。
しかし、考えてみれば住み始めて今年でもう20年。いつのまにか生まれ育った四国高松の町よりも長く住んでいることに気づいた。
そういう意味ではぼくもすでにこの町の歴史の一部に組み込まれている。
歴史の積み重ねって大事だよなあと思う。つまりそれが「文化」だからだ。
文化とは、結局人々がそこに生き、日々を暮らしたという事実そのものなのだろう。その堆積がかたちとなって、知らないうちにぼくたちの現在の生活を彩り、ゆたかな気配を与えてくれている。
そして、そのことを伝えていくということも、また大切な仕事だと思う。
「まちぞう」オフィシャルサイト
http://www.snw.co.jp/~machizou/