春の夜。赤坂。
店を出ればそこはミッドタウンの裏手に広がる閑静な住宅街。カンボジア大使館前の坂道をHとTと3人で登っていく。店にいる間にだいぶ気温が下がったようだ。
Hとは30年前に、ぼくが新卒で入った会社で出会い(同期入社だった)、彼女が営業、ぼくがプランナーとしてしばしば一緒に仕事をした。入社した頃からずっと英語の勉強をしていた彼女は、何年かして(予定どおり)会社を辞め、アメリカへ渡った。
そして、彼女が留学した先で同じ大学に通っていたのがTだ。やがて卒業して帰国した彼は、Hの紹介でぼくがいた会社の、偶然にも同じ部署に入ってきた。それが20年前。
先に立って坂を登るぼくたちに、Hが後ろから話しかける。
「ねえ、今ってそんな風にリュック背負ってるのが普通なの?」
普通だよねえとTとぼくが顔を見合わせて答える。
「私の方が保守的なのかなあ」と彼女が後ろでつぶやく(そう、彼女が日本で仕事をしていた頃はまだバブル全盛期で、みんなリュックは背負ってなかった)。
それからの時間を思うと気が遠くなる。
何年かしてぼくは他の部署へ異動し、それから間もなくTは別の会社に転職した。Hは卒業後も日本には帰らず、日本のメーカーの現地法人に入社した後、やがて独立して不動産の紹介業をはじめた。
ぼくたちの記憶の上にはすでに幾重もの地層が積み重なっていて、だからぼくたちは3人ともそれぞれの地層を掘り起こし、古い化石のような記憶を見つけては、それが探していたものであるかどうか確かめるように話をした。
しかし、そもそもぼくたち3人が揃うのはこれがはじめてなのだ。だから、それは不思議な、時空間を行き来するような会話 だった。それが共通の記憶であるようにぼくたちが話している過去は、実際にはHとぼくの、HとTの、Tとぼくの、時間も空間も少しづつズレた3通りの過去だったのだから。
やがてアジア会館を過ぎたあたりで、雨が降り出す。ぼくたちは雨を避けて、建物の陰に寄りながらグーグルマップで次の店を探す。
またしばらくぼくたちが会うことはないだろう。それでもそこに焦燥感がないのが不思議だ。SNSで繋がっている安心感の故だろうか。また何年かしてぼくたちは集まるかもしれないし、二度と会わないのかもしれない。だけど、それはどちらでもいいような気がした。会えば、それが何十年後でも、昨日別れたばかりのような顔をしてぼくたちは話をするだろうし、翌日また会うような気持ちで手を振り合うのだ。
(中村雅俊「ただお前がいい」より)また会う約束などすることもなく
それじゃあまたなと別れるときのお前がいい
若いときに知り合った友人とはそういうものなのだろう。