2017年9月26日火曜日

深夜のローソンと生物教室のパーティ

深夜3時。まだ起きている妻と息子を誘って、近くのローソンまで買い物に出る。

 

雨がアスファルトの暗い路地を濡らしている。

帰り道、買い物袋を提げて前を歩く息子の背中を見ながら、ぼくは高校生の時のある情景を思い出す。

 

 

Yの誕生日を祝うために、ぼくたちが生物教室に忍びこんだのは、ある2月の日曜日だった。

何故生物教室だったのかと言えば、Yを含む5名のうちの2名(FとF)が生物部所属だった関係で、ぼくたちはみんなその部屋の鍵の在り処を含め勝手をよく知っていたからだ。

 

飾り付けをやったり、キャンドルを灯したりして、ぼくたちはひとしきり誕生パーティを楽しんだ。ぼくはギターを持ち込んで歌ったかもしれない。Yは悪ノリをして、不気味な笑いを浮かべながらキャンドルから垂れるロウで実験用のテーブルにいたずらを施した(後でこれがぼくたちの命取りになるのだが)。

 

パーティが終わり学校を出た後、近くにある江戸時代の大名庭園跡へとぼくたちは歩いた。薄暮の風景の中をFとYが二人乗りでフラフラと自転車を漕いでいる情景が、今もぼくの脳裏にははっきりと焼き付いている(それをもうひとりのFが8ミリで撮影していて、後にFの家でやった上映会でぼくたちはその映像を観た)。

 

それは確か高2の冬で、翌年には大学受験と卒業が待っていた。いずれぼくたちはみな離れ離れになっていく、そのことを意識せずにはいられない時期だった(全員が受験に失敗して、全員が同じ予備校に通うことになるとは、そのときは誰も知らない)。そして、薄れゆく光の中でぼくは考えていた。10年か20年が過ぎてみんな別々の道を歩き出したその後に、ぼくは何処かでこの風景を思い起こすことがあるのだろうかと。

 

ちなみにぼくたちの犯行はあえなく発覚し、全員が反省文を書かされる羽目になる。翌日登校して生物教室に入った後輩が異変に気づき、教室が荒らされていると顧問の教師に報告したのだ(部屋を出るときにぼくたちはYのいたずらの跡をきちんと始末しなかったのだろうか)。そこからどういう経路でぼくたちのところに学校当局の捜査が及んだのだったか、それは覚えていないが、とにかくキャンドルを持ち込んで火を使ったことが特に問題視された記憶がある。

 

 

それから35年たった。

 

この春に高校を卒業して大学に通い出した息子は、もうあの時のぼくを追い越している。そんな彼もやがて家を出て行くだろう。妻と息子と3人でこんな風に買い物に出るのも、多分そう何度もあることではないはずだ。

深夜のコンビニからの帰り道、そぼ降る雨に傘をさして3人で歩いた記憶がぼくの中に残り、いつの日かみんな忘れ去ってしまった頃に、ぼくの脳裏に甦るのだろうか。

その日を待つでもなく、薄ぼんやりとした街灯の下でただ現在の暗い路地は雨に濡れ、どこまでも続いていく。