ホットコーヒーとジュースと紅茶しかないメニューは健在だった。
昔、中野サンモール商店街の脇道にあった伝説の名曲喫茶「クラシック」。高齢の創業者が亡くなった後2005年に閉店したが、スタッフが調度品を買い取って高円寺に店を復活させたと聞いていた。
高円寺は娘が一人暮らしをはじめてから何かと縁のあるまちだ。娘に会いがてら妻と二人で行ってきた。
階段を降りると、椅子の上に3品だけのメニューを書いた額が置いてある。
なるほど。
そして、左手のドアを開けると期待通り薄暗い店内。往時のクラシックより、心もち明るいような気がしないでもない。
入口で食券を買うシステムは昔と同じだ。飲めたものではなかったコーヒーとジュースの味も昔と変わらないのだろうか。ちょっと迷うが、昔の習慣にしたがって消去法で紅茶を選ぶ。
見回すと、空いている席はみな椅子のカバーが破れているか、ズバリ「着席禁止」の貼り紙があるかだ。仕方がないのでカバーの破れた椅子に妻と腰をおろす。昔と同じく2階席はないのかなとしばらくキョロキョロし、「トイレは階段を上った右側」という貼り紙を見つけさらにキョロキョロするが、ここは地下だった。2階席がある訳はない^^
注文した紅茶がまもなく運ばれてくる。カップの横に添えられているのは昔のままの角砂糖が2個、でもミルク入れはマヨネーズの蓋ではなくちゃんとしたミルクピッチャーだし、水の入ったコップもワンカップ大関の瓶ではない。
流れているのはバッハ。永遠に閉じた円環の中を廻りつづけるかのように音が連なっていく。
ふと見やった壁際の本棚につげ義春の名前を見つけた。
学生時代、入り浸っていた親友の部屋を思い出す。そこにはいつもつげ義春と唐十郎と麻雀牌と煙草の吸い殻が拾ってきたベッドとこたつの間でごちゃごちゃになって散らばっていた。
ぼくはぼくで、白い冷蔵庫の扉にミラボー橋の詩を殴り書きした自分の部屋で、ボードレールやらゴドーやらデリダやらドゥルーズやらをノートの上でひねり回したり、それらを全部放り出してギターを弾いたりしていた。
重なっているようなズレているようなそんな二人の共通の接点になっていたのがクラシックだった。
どちらにしても頭でっかちな時代だった。
ふと妻が、リクエストボードがあるよ、と壁を指差す。
闇と埃に包まれた壁の一角に、たしかに何やら殴り書きされたボードが掛かっている。
かつて親友は、クラシックに来ると必ずパッフェルベルのカノンと書いて、それから2階席へ階段を登るのだった。
なにかリクエストする?と妻が聞く。
いや、と僕は答える。
それからいくつもの時間が過ぎて、ぼくは就職し、仕事を覚え、結婚し、子どもができ、そしてその子どもが一人は就職し、もう一人も今度大学生になる。
ここにも本当の闇はないんだよな。
あの時の親友の言葉がまた甦る。彼に教えられてから、ぼくはいろんな人をクラシックに連れて行ったが(妻もそのひとりだ)、いま思えばそれは単なる話のネタ程度のものでしかなかったのかも知れない。
あれから劇団唐組で自分の場所を築いていった親友は、本当の闇を見つけただろうか。ぼくはそこから離れ、随分と遠い場所に来てしまったような気がした。
夕暮れに覗き込んだアパートの郵便受けの暗がりや、夜中にふと立った共同便所の、顔の横にひっそり灯る裸電球と、その下に誰にも気づかれず蹲っている白い埃なんかに気をとられていたぼくはもういない。
そろそろ行こうか。
バッハの組曲はいつの間にか次のレコードに移っていた。ぼくたちは立ち上がり、その店を後にする。