2017年1月31日火曜日

ぼくたちの風景

中野で東西線を降りる。

階段を降り、人混みを抜けて改札を出る。妻と娘はまだ来ていない。

なにげなく見上げた視線の先のビルの上階に友人に教えてもらった安いカレー屋があったなと思うが、それはもう30年も前の話。いまその心当たりの場所に見えるのは、空きテナントの紙が貼られた暗いガラス窓でしかない。

 

 

2月から娘が都内で独り暮らしをすることになった。

4月から社会人なのだが、勤め先のビジネスの繁忙期が2-3月なので、ひと足早く2月から勤務がはじまるのだ。

自宅から通うのは遠いからと言って、娘が探してきたアパートの住所は東高円寺だった。

ぼくが独身時代に住んでいた中野からひと駅だなと思ったが、実際にGoogleMapで場所を確認すると、高円寺と言ってもむしろ中野駅の方が近いくらいの場所だった。ぼくが住んでいたところからは歩いてほんの10分ちょっとだ。

妻も一時期中野に住んでいたことがあるので、中野はぼくたちにとって懐かしい場所だ。

そんな訳で、2日前に娘の荷物をクルマで運んだ時には、南口の五差路を越えたところにあるロイヤルホストで昼を食べた。そこは昔ぼくがいつもカウンター席で仕事をしながら夕食を食べていた店で、妻とぼくが結婚の話をした場所でもあった。

 

そして、ロイヤルホストと桃園川緑道をはさんで隣り合ったところの定食屋。

そこもまた当時ぼくがよく通ったお店で、結婚が決まった時に妻を連れて行って挨拶したら、小母さんが驚き、そして喜んでくれたのを覚えている(考えてみればあの時の小母さんは今のぼくらよりも年下だったかもしれない)。

ロイヤルホストを出て覗いてみたら、その店はまだそこにあった(ビルはすでに新しくなっていたが)。その日は日曜で定休日らしく入ることはできなかったが、今日は妻と娘と三人で待ち合わせ、その店で夕食を食べることになっている。

あの時の小母さんと、いつも厨房にいた小父さんはもう引退しただろうか。いい加減な計算によれば、たぶんもう70歳くらいにはなっているはずだ。すると今は娘さんか息子さんがお店を継いでいるのだろうか。たしか当時娘さんが中学か高校くらい、息子さんが小学生くらいで、いつも二人で配膳を手伝っていたのを思い出す。

 

店に入ると、客はまだいなかった。

店の中は昔の記憶よりも何だかこぎれいな感じだ。「いらっしゃいませ」と声をかけてきたのは年配の女性。厨房の中にも同じくらいの年格好の女性がいる。どちらも顔に見覚えはなかった。

案内されるまま四人掛けのテーブルに腰を降ろしながら考える。

すでに彼女らは引退し、その際に店を譲ったのだろうか。とすると、あの子たちは後を継がなかったということになる。まあ、あれから30年も経っているのだ。まだ店がなくなっていないということだけでも奇跡に近いのかもしれない。

ぼくたちが座ってから次々と客が訪れ、やがて狭い店の中はいっぱいになった。何か事情を聞けるかなと思ったが、彼女たちは客の応対で忙しそうで、また何と聞いていいものやらよくわからず、結局聞けないままぼくたちは店を後にした。

懐かしい人たちには会えなかったが、料理は美味しかった。当時とはメニューから何から全然違っていたが、どこか体の芯が温まるような手づくり感は同じような気がした。

 

 

自分の部屋に帰る娘と五差路で別れる。

娘はバイバイと手を振り、当たり前のように信号を渡って、自分のアパートへの道を帰っていく。

そこはかつてぼくたち夫婦が何度も歩き、何度も渡った交差点だった。そこは30年前ぼくたちの街であり、それはぼくたちの風景だったのだ。

その中を今はぼくたちの娘が、まるでずっと前からそこに住んでいるかのように自信に満ちて歩いていく。

 

やがて信号を渡りきった娘の姿が、走り出した車の向こうに隠れる。

まだ名残惜しそうにそちらを眺めている妻を促すと、ぼくたちもまた歩きはじめる。中野駅の方へ。

今日から住む人がひとり減ってしまった我が家に向かって。