2007年1月5日金曜日

帰省して

中学の同窓会があって、久しぶりに四国に帰省した。

妻子とともに実家近くの駅まで行き、母親に出て来てもらってお茶をした。

翌日の同窓会に出席するぼくは、そのまま九州の妻の実家に向かう妻子を駅で見送り、母親と二人で実家に戻った。


家に帰ると、親父がいた。

ウチの親父は相当な変人で、機嫌が悪いと息子のぼくにさえ口をきかない。それも半端ではない。そういう状態が何ヶ月も、何年も続いたりするのだ。

最近は歳のせいか身体の調子が悪く、したがって機嫌もすこぶる悪く、もう10年くらいそんな調子だ。


この日も、家に入ると親父が洗面所から出てくるところだった。

「よお」と声をかけようとしたが、こちらを見もせずガラガラと戸を閉めて、自分の部屋に入ってしまった。

子供の頃からの話でこっちも慣れているのだが、今回ひとつだけ新しい発見があった。


夕食を食べるので、親父が自分の部屋から出て来たときのことだ(親父は床に座ったり立ったりするのがつらいので、キッチンの隅のテーブルで一人で食事を摂る)。

ぼくは隣の炬燵のある部屋にいたのだが、その(仕切りになっている)戸を閉めろ、という声が聞こえてきた。

続いて「何でな」という母親の声。

「病人は食べるところを見られたくないんじゃ」という親父の怒った声。

母親が「すまんなぁ」とこっちを覗き込み、「ちょっと閉めるけどええか」と言う。

ぼくは苦笑しながら、手を振って閉めていいよと伝える。


新たな発見だったのは、親父自身実はぼくの存在を意識していたのだな、ということだ。

親父はちょっと異常なくらいプライドが高い。だから、箸を持つ手が震えるのを息子に見られたくなかったようなのだ。そこにある親父なりの意地のようなものを、ぼくは40歳を過ぎてはじめて感じとることができた。


子どもの頃には、そんなことまったく感じようもなかった。

ぼくにしてみれば、何ヶ月も何年も口をきいてもらえないことによって、ぼくという存在そのものをまったく認識さえされていないような気持ちだった。空気のように、いてもいなくても変わらないもの、そんな風に思われていると思っていた。

機嫌が悪い時期の親父とひとつ屋根の下に暮らすのは重苦しかった。親父がいると、母親との会話さえ控えがちになる。そんな日常に慣れるうち、ぼくは家にいてもどこにいても、空気のように自分の気配を殺すようになっていた。


しかし、「病人は見られたくないんじゃ」という親父の言葉で、少なくとも彼がぼくの存在を認識していたのだ、いやむしろ認識しているからこそ口をきこうとしなかったのだとわかる。認識した上で関係を遮断していたのだと。

もしそうなら、もうぼくは「いてもいなくても変わらない存在」ではない。歓迎はされていないかもしれない(これはこれで問題だ)が、少なくとも彼の意識に何らかの影響を与える存在であることは間違いないからだ。


もう老人になってしまった親父が、しかも歳とともにますます意固地になっていく親父が今さら変わってくれることなど期待すべくもない。そうした現実に立って考えれば、上の事実だけでもぼくにとっては十分であるような気がするのだ。

少なくとも、長い間ぼくの精神構造に影を落としていた「自分は存在を認められていないんじゃないか」という密かな不安が、根拠のないものだったとわかった限りにおいて。