実を言うと、それは中学の閉校記念の同窓会だったのだ。
田舎の過疎地の話ではない。地方都市とは言え市の中心部、下町の話だ。
住宅の郊外化は地方都市でもどんどん進んでいるようで、母校の中学も近年はすっかり生徒数が減っていたらしい(ピーク時には1765名いた生徒数が現在は133名だという。ちなみに一年生は27名)。
ただ、ひとつ明るさを感じるのは、単なる閉校ではなく、近隣の中学校と小学校数校を統合して新しく小中一貫校を作る計画の一環だという。
公立の小中一貫校というのははじめて聞いたが、さすがは教育熱心で知られる県らしい。
ところで、今回の同窓会は行く前から不安がひとつあった。
下町の学校だったので、商店街の子どもが多かった。床屋の子どもやおもちゃ屋の子ども、バーやスナックの子どももいた。ちょっと柄のあんまりよくない地域も校区に入っていた。
格差社会という言葉がマスコミを賑わす昨今、それらの連中はどうしてるんだろうと思っていたのだ。何せ27年ぶりの再会。卒業後の消息もまったく知らない連中がほとんどだ。
景気は好調と言ってもそれは東京を中心とした一部の業種のしかも大企業の話。ぼくの郷里は四国の、かつては玄関として栄えた町だが、瀬戸大橋以後は地盤沈下がささやかれている。その中でも下町の商店街となれば、商圏人口は減る一方だし、業種的にも今どき床屋やおもちゃ屋が儲かっているはずがない。
こっちも勝ち組というほどのものではないし、そんな捉え方自体好きではないが、久しぶりに会ったときにそういう格差がはっきり見えてしまったらイヤだなと思っていたのだ。
だが、会ってみたらそんな心配はまったくの杞憂だった。
みんな実に元気だった。サラリーマンが相対的に少ないのは上の事情からしても当然だが、床屋の息子は店舗を大きく拡張する計画を熱く語っていたし、居酒屋をやっている友だちは髭などたくわえて貫禄十分だった。高校からラグビーをはじめた奴は勤務先のラグビー部のコーチになっていたし、社会人になってから趣味でダンスをはじめた奴は、今年からは勤めも辞めてフリーのインストラクターになったりと、サラリーマンをやってるこちらが恥ずかしくなるほどだった。
不況の影を感じる話もないではなかったが、概ねみんな自分の場所でしっかり生きているなあというのが終わってみての率直な感想だ。
東京にいると何だかみんなサラリーマンばっかりのような気がしてくるが、多彩な生き方があるんだなあというのがとても新鮮だった。
加えて、誰もが何の屈託もなく話しかけてくるのも気持ちよかった。会わなかった時間が長いほどかえって、会った瞬間にその距離を一気に飛び越えてしまえるのだろうか。ああ、あの頃はこんなにみんな距離が近かったんだなあと思った。何のことはない、身構えていたのはぼくの方かもしれなかった。都会で暮らすうちに人との間に距離を置くことを覚えてしまっていたのだろうか。
格差社会なんていうのも、意外とマスコミが作った幻想かもしれない。社会的な視点というのは必要だと思うが、そうした視点はどうしても目の前の現象を固定して見せがちだ。目の前にある生きた現在に目を向けるならば、そちらの方がよほどたくましいということは結構あるのではないだろうか。