2004年9月23日木曜日

空見た子、とか

夕暮れ。家族でそぞろ歩く商店街。建物と建物の隙間からまだ明るい西の空が見えた。

蒼ざめた空に幾筋かの雲が伸びていた。


前に同じ空を見たのはいつだろうか。いちばんはっきり憶えているのは高三から浪人時代にかけての頃。受験勉強に飽きると、よく自転車を郊外まで走らせた。気の向くまま2時間でも3時間でもペダルを踏んだ。

河川敷や土手の上でふと自転車をとめ、見上げた夕空は今日とまったく同じ色をしていた。


それ以来、無為に空を眺めた記憶がない。そもそも信号待ち以外で立ちどまることさえないかもしれない。


いちばん長い時間空を眺めていたのは、小学生のときだろうか。

家から近い城跡の公園で友だちとよく遊んだ。遊び疲れると芝生に寝転がって空を見上げた。

青い空に白い雲が浮かび、かたちを変えながらゆっくりと流れていった。見る間にかたちが崩れていき、別のかたちになっていくのが面白かった。


東京には空がない。


いやいやそんなことを言うつもりはない。

ひと昔前のフォークソングのように空を眺めない生活を嘆く気はしない。そういう生活を都会の不健康な生活だとも思わない。

むしろ立ち止まることもなく送る忙しい毎日は、それなりに充実している。それに立ち止まろうと思うならいつでも立ち止まることはできる。そして見上げればいつでも空はある。


今日の夕空のように。