桜が美しいのは、ある日突然世界を変貌させるからだろうか。
この間までただの枯れ木の風景だったところが、今日見るとあたり一面真っ白な風景に変わっている。ふだんぼんやりしているぼくは、そうなってはじめて「ああ桜の木だったのか」と気づくのだ。
実を言うと、いちばん多感だった(笑)高校生の頃には風が吹いても何かを感じていた癖に、桜をきれいだと思ったことは一度もなかった。
その頃ぼくの心を奪っていたのは、高校の中庭にあったクスノキの老木だった。老木の枝葉が中庭じゅうを覆ったその場所では、毎年春になるとひとつのショーが繰り広げられる。風もない明るい日差しの中を、次から次へと大量の木の葉が舞うのだ。まるで秋の紅葉のように。
これは何だろうと思っていろいろ調べてみた。
その頃朝日新聞社から『季寄せ』という題の、それぞれの季節の季語を写真入りで解説した本が出ていた。母が俳句をやっていた関係からかたまたま家にあったその本を調べてみたところ、最初に出くわしたのが「病葉(わくらば)」という言葉だった。年老いた木は、季節に関係なく枯れた葉を落とすらしいのだ。「おおこれか」と思ったが、「病葉」という語感と、春の日の中をはらはらと落ちていく風景とがどうもしっくり来ない。
さらに調べてみると、「春落葉」という言葉が見つかった。クスノキは常緑樹だが、常緑樹は秋にいっせいに葉を落とさないかわり、春から夏にかけて少しずつ古い葉を入れ替えているらしいのだ。
ぼくはこの「春落葉」という季語が気に入った。
それから20年以上がたって、桜の花が舞い散る中を歩いていると、高校の中庭のクスノキを思い出す。その日の、あるかないかの風のにおいや春の光を反射しながらはらはらと舞い落ちるその感覚までが甦ってくる。
その後、老朽化した高校の校舎は建て替えられてしまった。クスノキは残されたらしいが、もう中庭はない。あの風景もずいぶん変わってしまったことだろう。