2004年4月29日木曜日

生き馬の眼を抜く首都圏の通勤戦争

結婚してから東京郊外のT市に住んでいる。

最寄り駅にはうれしいことに始発の準急がある。とは言え朝の席取り競争は熾烈だ。9時に出社しなければならないときなどラッシュもピークで、知性も教養も人間性もすべてかなぐり捨てた凄まじい闘争の洗礼をくぐり抜けなければならない。

独身時代にもホームに並んで電車を待ち、電車が来るとそれっとばかりにダッシュするという光景は経験済みだったが、いやはやT市の席取り競争はそんななまやさしいものでは到底なかった。


ドアが開くと、突然地鳴りのような音が巻き起こる。と同時にものすごい勢いで後ろから突き飛ばされる。なんだなんだ?とうろたえながら、精一杯態勢を立て直しあたりを見渡すのだが、あっという間に一帯は静まりかえり、すべての座席は埋まっていて、もはや戦場は早朝の静寂の中強者どもが夢のあと、電車の窓から射し込む初秋のやわらかな日差し、とこういう具合になっているのだった。


そんなことを2、3度繰り返したあと、ぼくはもう10分早く家を出て最前列をキープしようという決断をした。これならさすがに座れないことはないのだ。背後から押し寄せる百万馬力の猛烈なアタックにも動じることなく、悠々と目の前に存在する座席に向かってまっすぐに大股で歩み寄り、周囲の喧騒などいっさいおかまいなく素早くお尻を向けてどっかとそこに腰を降ろしてしまえばいいのである。

もちろん油断は禁物だ。あっちの隅っこの席がいいか陽の当たらないこっちの席の方がいいかなんていう微妙な選択をはじめたりしたら最後、二兎を追う者は一兎をも得ずというあの故事成語の世界に生きる羽目に陥ってしまうのである。


迷うことなくまっすぐに己の生きる道を追求するというこの姿勢こそが、生き馬の眼を抜くと言われる首都圏の激烈な通勤戦争を生き抜く者には欠かせない教訓なのであった。


(この文章は1993年に書いたものです。この度偶然ハードディスクの中から発掘したので、少し手を入れて発表することにしました)