ステージには「スナック窈」と書かれた行灯が置かれている。
しずかにイントロがはじまる。
ピアノの旋律に、生ギターの音が絡み合う。
ストールに座った一青窈にスポットが当たり、歌い出す彼女の声は情感たっぷりな、いわゆる一青節だ。
その歌は、往年の名曲「思秋期」。かれこれ30年近く前(1977年)に岩崎宏美が歌った曲だ。詞は阿久悠、曲は三木たかしのゴールデンコンビ。
誰も彼も通り過ぎて
二度とここへ来ない
青春はこわれもの
愛しても傷つき
青春は忘れもの
過ぎてから気がつく
岩崎の透明でまっすぐな歌い方を聞き慣れた耳には、こぶしの効いた一青の歌唱は受け入れ難いかも知れない。
だが、青春をはるかに通り過ぎた場所からいま振り返って聴けば、彼女の歌声はむしろぐっと来るものがある。そしてまた同時に、阿久悠の才能にあらためて気づかされる。
YouTubeのこの映像は、2010年にパルテノン多摩で行われた一青窈のコンサートで収録されたもので、往年の歌謡曲を集めたカバーアルバム「歌窈曲(かようきょく)」に、初回限定生産特典として同梱されたDVDに納められている。
歌の終盤、一青は床に置かれたグラスを持ち上げ、大事に抱きかかえるように歌う。
ひとりで紅茶のみながら
絵はがきなんか書いている
そして、観客席に向かってそれを高く掲げる。
お元気ですか皆さん
いつか逢いましょう
そう言えば、この時の彼女のコンサートツアーには「おかわりありませんか」というタイトルが振られていた。
それは、彼女のコンサートを訪れた観客への挨拶の言葉であるとともに、「通り過ぎていった」人たちへの挨拶の言葉であったのかもしれない。
ところで、この歌とはおそらくなんの関係もないが、思春期に対して「思秋期」ということばが最近、中年期特有の不安定な心理状態を表す概念として提起されているらしい。
「思秋期」をどう生きるか?(和田秀樹 サバイバルのための思考法)
そうしてみると、この歌を聴きながら感慨に耽っている自分の行為そのものが「思秋期」特有の心理に沿っているようでもあって、面白いといえば面白い。