2006年11月8日水曜日

郵便屋さんのいる風景

東野圭吾は、どこにでもいる平凡な人を描くのがうまい、という話をちょっと前に書いた。

彼の小説を読んでいると、フツーの人が何だかやたらと魅力的に見えてくるのだ。


そこには、村上勉(佐藤さとるなど童話作家の挿し絵をよく描いている)の絵にも通じるものがある。

先日、昼休みに会社近くの裏通りを歩いていたら、郵便配達のおばちゃんがバイクを停めてどこかの店の人と立ち話をしていた。

なかなかに村上勉的風景だった。そのままデフォルメすれば彼が描いた挿し絵のひとつになるんじゃないかというような。


仕事をしていると、そもそも郵便屋さんをあまり見かけない。こちらは日中家にいないし、オフィスで会議をやっていたり電車に乗っていて郵便屋さんに会うはずもない。

だから余計にそう思うのだろうか。時々そういう平凡な風景が懐かしくなる。

ビジネスマンが暮らす効率優先の世界とは質の違う世界がそこにあるからか。


郵便屋さんは今もあの昔ながらのユニフォームを着て、地域の中を自転車で走り回っている。ミツバチのように、家から家へと、郵便物だけではない、口伝えの情報という名の文化を運びながら。


そこがすべての出発点であり、終着点であるべきだという気がしてならない。

そこを忘れた経営やマーケティングが人びとの心に届くのかと。